2024年にデビュー20周年を迎えモデル、ミュージシャンとして今も活躍をしている木村カエラさん。
木村カエラさんはどこの国のハーフなのでしょうか?また、「カエラ」という珍しい名前の由来や意味は?若い頃はどんな活動をしていて、どんな見た目だったのでしょうか?
そこで今回の記事では
- ハーフとしての生い立ちは?
- 若い頃の活動について
- デビュー後のキャリア
主にこの3つに迫っていきます。
木村カエラさんは日本人の母親とイギリス人の父親を持つ日英ハーフとして1984年に東京で誕生しました。本名は「木村カエラりえ」で、現在は結婚により「永山カエラりえ」さんです。「カエラ」というミドルネームは特に意味はなく、ご両親が「変わった名前をつけたかった」という理由からつけられたものでした。
ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
木村カエラさんのハーフとしての生い立ち

木村カエラさんはどこの国とのハーフで、そのルーツはどのように彼女の人生に影響しているのでしょうか?
木村カエラさんは日本人の母親とイギリス人の父親を持つ日英ハーフで、1984年に東京都足立区で生まれました。
木村カエラさんは1984年10月24日に東京都足立区で生まれました。日本人の母親とイギリス人の父親を持つ日英ハーフです。本名は「木村カエラりえ」で、俳優の瑛太さんとの結婚後は「永山カエラりえ」となっています。

注目すべきは「カエラ」はミドルネームということです。一部では「カエラ」はヘブライ語で「最愛」という意味があると報じられることもありましたが、実は特別な意味はなく、単にご両親が「変わった名前をつけたかった」という理由から名付けられたものです。
木村カエラさん本人もメディアで広まった「特別な意味がある説」を否定しています。

子供の頃は英語を話せていたそうですが、現在は忘れてしまって話せないとのこと。彼女の父親は英会話教師をしていました。ハーフとして生まれ育った環境が、彼女の個性的な魅力や音楽性、ファッションセンスに影響を与えていると言われています。
彼女自身は自分のルーツについて特別意識することなく育ったと語っていますが、国際的な視点や多様な文化への親しみやすさは、彼女のクリエイティブな表現にも表れているように感じます。
日英ハーフとしての背景が、木村カエラさんの独特な個性や表現力を育む土台となっていることは間違いないでしょう。
木村カエラさんの若い頃の活動

木村カエラさんはどのようにして芸能界デビューし、人気歌手になるまでの道のりはどんなものだったのでしょうか?
木村カエラさんは小学6年生でモデルにスカウトされ、読者モデルから「SEVENTEEN」専属モデルへと活躍の場を広げていきました。
木村カエラさんの芸能活動は小学校6年生のときに始まりました。原宿でカットモデルにスカウトされたのがきっかけで、その後ファッション雑誌「CUTiE」の読者モデルとなりました。17歳の時には「ミスセブンティーン2001」というオーディションに合格し、人気ファッション雑誌「SEVENTEEN」の専属モデルとして活動するようになります。

しかし、彼女の夢は幼い頃から歌手になることでした。その原点は小学校低学年の頃、音楽ユニット「globe」のKEIKOさんの歌声に憧れたことでした。中学校では合唱クラブに所属し、歌の腕を磨いていました。2002年、18歳の時にはモデル活動と並行して、インディーズバンド「ANIMO」を結成し「Katie」という名前でボーカルを担当していましたが、「モデルがノリで音楽を始めた」という偏見もあり、苦労したそうです。

彼女の転機となったのは、音楽情報番組「sakusaku」のMCに抜擢されたことでした。このとき彼女の飾らない天真爛漫なキャラクターが視聴者に受け、番組人気が高まり、複数の地方局で放送されるようになりました。そして2004年、20歳のときにこの番組の企画として「夢のメジャーデビュー」を果たし、シングル「Level 42」をリリースしました。
このときん木村カエラさんの歌はロック調でスピード感もありますね!木村さんはもともとパンクがだ好きで色々と影響を受けていると語っています。世界的に有名な日本のパンクバンドの元ハイスタンダードのギタリスト横山健さんとコラボもしたこともあります。
木村 そうです。私はもともとパンクが好きで、バンドが好きで、健さんたちがやっている音楽を聴いて「自分もこういうふうになりたい」って思いながら、高校の学校帰りに制服のままインディーズバンドのライブに行って、下北沢に入り浸っていたので。
引用:音楽ナタリー
モデルから歌手への転身は簡単ではなかったと思いますが、夢に向かって諦めずに努力し続けた姿勢に心から応援したくなりますね!
木村カエラさんのデビュー後のキャリア

人気歌手としてデビューした後の木村カエラさんはどのような活躍をし、プライベートとの両立はどう図ってきたのでしょうか?
木村カエラさんはデビュー後に紅白出場や武道館公演を果たし、結婚・出産も経験しながら20年以上第一線で活躍し続けています。
2004年6月に「Level 42」でメジャーデビューした木村カエラさんは、同年リリースの1stアルバム「KAELA」でオリコン週間アルバムランキング8位という好スタートを切りました。翌2005年には「リルラリルハ」や「BEAT」などのヒット曲を世に送り出し、一気に注目を集めるアーティストとなりました。この年には「カスタムメイド10.30」で女優デビューも果たし、活動の幅を広げています。
2007年には3rdアルバム「Scratch」でオリコンアルバムランキング1位を獲得するという快挙を成し遂げ、同年にはデビュー以来初の単独日本武道館ライブも開催しました。そして2009年、デビュー5周年を迎えた彼女は名曲「Butterfly」を発表し、自身初のNHK紅白歌合戦に出場という夢も叶えました。
木村カエラが2004年6月のデビュー以来、初のオリコン1位獲得! 自身の初動売上記録を大幅更新!
引用:ORICON NEWS
私生活では2010年に俳優の瑛太さん(現在は永山瑛太)と結婚を発表し、同時に妊娠も公表。同年に第一子を、2013年には第二子を出産し、2児のママとなりました。キャリアも更に拡大し、2013年にはビクターエンターテインメントに移籍して女性アーティスト初となるプライベートレーベル「ERA」を設立し、史上最年少で代表に就任しました。
俳優の瑛太(27)と歌手の木村カエラ(25)が1日午後、お互いの公式サイトでファンに向け結婚を発表した。
引用:ORICON NEWS
30代に入ると子育てと音楽活動の両立に悩む時期もあり、一時は「音楽をやめたい」と思うほど追い込まれたこともあったそうですが、2018年に絵本「ねむとココロ」を出版したことがきっかけでスランプを脱出しました。2024年にはデビュー20周年を迎え、メモリアルソング「Twenty」のリリースや約12年ぶりの武道館ワンマンライブを成功させています。
音楽活動と家庭生活の両立に悩みながらも常に進化し続ける姿勢は、多くの女性アーティストにとっても良いロールモデルになっていると思います。
まとめ
木村カエラさんは日本人の母親とイギリス人の父親を持つ日英ハーフとして東京で生まれました。「カエラ」という名前に特別な意味はなく、ご両親が「変わった名前をつけたかった」という理由で名付けられました。
小学6年生でスカウトされモデル活動を始め、「SEVENTEEN」専属モデルとして活躍。夢だった歌手を目指し、2004年に「Level 42」でメジャーデビューしました。
デビュー後は次々とヒット曲を生み出し、武道館公演や紅白出場を果たします。2010年に俳優の永山瑛太さんと結婚し2児の母となりながらも、プライベートレーベルを設立し音楽だけでなく様々な分野で活躍。
子育てと音楽活動の両立に悩んだ時期もありましたが、デビュー20周年を迎えた今も第一線で輝き続けています。いつも自分を見つめて自分らしくというメッセージを伝えてくれる木村カエラさんのこれからの活動も楽しみですね!
どうもありがとうございました。
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