「この人、本当に女性?」と驚くほどキレのあるアクションで話題になった志穂美悦子さん。現在は長渕剛さんの妻として知られる彼女ですが、実は日本初の本格的女性アクション女優として映画史に名を刻んだ先駆者なんです。
でも、なぜ志穂美悦子さんは他の女優さんとは違ってアクション女優の道を選んだのでしょうか?また、若い頃はどんな人だったのか、どのような経緯でアクション女優になったのかも気になりますよね。
そこで今回の記事では
- 志穂美悦子の若い頃の運動神経と性格
- なぜアクション女優になったのかの理由とエピソード
- 代表作品とその中での感動的なエピソード
主にこの3つに迫っていきます。
志穂美悦子さんは中学時代に80メートル・ハードルで岡山県歴代2位という記録を樹立し、父親は陸軍中野学校出身の元軍人という運動神経抜群の家系に生まれました。その後、千葉真一さんとの運命的な出会いによって日本映画界の歴史を変える存在となったのです。
ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
志穂美悦子さんの若い頃〜運動神経抜群だった学生時代

志穂美悦子さんって、若い頃からこんなにも運動神経が良かったんでしょうか?
志穂美悦子さんは幼稚園の頃から「私はみんなより足が速い」と感じるほどの運動神経の持ち主でした。
幼少期から際立っていた身体能力

1955年生まれの志穂美悦子さんは、まさに天性のアスリートでした。幼稚園時代から自分の運動能力の高さを自覚していて、周りの子供たちよりも明らかに身体能力が優れていることを実感していたそうです。
中学・高校時代には陸上部に所属し、特に中学時代の記録は驚異的でした。80メートル・ハードルで13秒4という岡山県歴代2位の記録を樹立したのです。この記録からも分かるように、彼女の身体能力は同世代の中でも群を抜いていました。
両親から受け継いだ運動神経のDNA

志穂美悦子さんの運動神経の良さは、実は両親から受け継いだものでした。父親は陸軍中野学校出身の元軍人で剣道3-4段の腕前を持ち、母親は卓球をやっていたそうです。まさに運動神経抜群の家系に生まれた彼女だからこそ、後にアクション女優として活躍する素地が既に備わっていたのです。

軍人だった若かりしころの写真を公開し、「これは陸軍中野学校を卒業し、パプア.ニューギニア戦線に部下24人を引き連れて赴く時の写真です。まるで御守りのようにわたしのスマホに入っている」とつづった。
引用:日刊スポーツ
当時から負けず嫌いで行動力があり、周囲からは「女性なのに男勝り」「根性がある」と言われるタイプだったといいます。この性格も、後に日本初のアクション女優として道を切り開く原動力となったのでしょう。
運動神経だけでなく、負けず嫌いの性格も兼ね備えていたからこそ、前例のない道に挑戦できたのでしょうね。
アクション女優への転機〜千葉真一さんとの運命的な出会い

志穂美悦子さんはなぜ、他の女優さんとは違ってアクションの道を選んだのでしょうか?
志穂美悦子さんは中学生の頃から千葉真一さんに憧れ、「誰よりも先にやりたい」というパイオニア精神でアクション女優を目指しました。
千葉真一さんへの憧れから始まった夢

中学生の頃から「女優」という職業を意識していた志穂美悦子さんですが、特に自分の運動神経を活かした女優になりたいと一人で考えていました。そんな時、テレビドラマ『キイハンター』を見て千葉真一さんの熱狂的ファンとなり、スタントマンになりたい夢を抱くようになったのです。
彼女の心境について、特に印象的なのがこの言葉です。
「当時、アクション女優は日本にいなかったので、誰よりも先にやりたいと思っていました。人の後からやるのでは、つまらないですから」
引用:Wendy-Net
この言葉からも分かるように、単に千葉真一さんに憧れただけでなく、パイオニア精神を持った女性だったのです。
父親との感動的なエピソード

高校2年生の時、雑誌でジャパンアクションクラブ(JAC)の記事を見つけて手紙を出し、試験の案内をもらいます。しかし、国家公務員の父親が厳格で、最初は夢を打ち明けることができませんでした。
意を決して父親に話した時のエピソードは本当に感動的です。父は最初激怒しましたが、翌日「話がある」と呼ばれると、父自身も若い時に「満州に行きたい」と言って父親に断念させられた経験があることを話してくれました。
「だから、お前の可能性の芽を最初から摘むことはしない。受験は認める」
引用:Wendy-Net
この父親の深い理解があったからこそ、志穂美悦子さんの夢が実現したのです。自分の経験を踏まえて娘の夢を応援した父親の愛情が伝わってくるエピソードですね。
父親の理解と応援がなければ、日本初のアクション女優は生まれなかったかもしれません。家族の支えって本当に大切ですね。
代表作品と感動エピソード〜『女必殺拳』での衝撃デビュー

志穂美悦子さんの代表作品には、どのような作品があるのでしょうか?
志穂美悦子さんの代表作は1974年の『女必殺拳』で、この作品で18歳にして初主演を果たし大ブレイクしました。
JAC入団から鮮烈デビューまで

1972年8月にJACの試験を受けた志穂美悦子さんですが、そのエピソードも印象的です。「前転をしてみてください」と言われてでんぐり返しをしただけで、その場でOKが出たそうです。千葉真一さんは後に「それだけで分かる」と語っています。
練習生時代から既に才能を開花させていました。女優さんの空手シーンのスタントを務めた際、映画館でその作品を見ると、空手シーンが流れた時に会場が「うぉぉー!」とどよめいたそうです。
顔は写っていないけれど、明らかに女の子がやっているのが分かり、観客が驚いたのです。この瞬間に、自分がやろうとしていることへの確信を得たそうです。
『女必殺拳』での歴史的な主演デビュー

1974年の『女必殺拳』で主演に抜擢され、これが出世作となりました。18歳での初主演について、志穂美悦子さんはこう語っています。
「自分の名前が最初にバーンと大きく出て、中学生から思い描いていた私の『日本初のアクション女優』としての夢をかなえられた瞬間は、うれしかったですね」
引用:Wendy-Net
この作品は海外でも公開され、「Sue Shihomi」の名で世界的な知名度を獲得しました。当時「女性が男をバッタバッタと倒す」映像自体が非常に珍しく、観客に大きな衝撃を与えたのです。
その他の代表作品と活躍
『忍者戦隊カゲスター』(1976年)では、ヒロイン・ベルスターを演じました。普通のヒロインと違い、実際に自ら戦い、敵に蹴りやパンチを叩き込むアクションが特徴的で、子供たちから「戦うお姉さん」として圧倒的な人気を集めました。
『宇宙からのメッセージ』(1978年)では宇宙の戦うプリンセス的キャラを演じ、華麗な剣劇や格闘を披露。時代劇『柳生一族の陰謀』では女忍者役として出演し、日本刀の殺陣や宙転など、時代劇に女性アクションを持ち込んだのは画期的でした。
どの作品でも常に新しい挑戦をしていて、まさに開拓者精神を感じます。後の女優さんたちの道を切り開いた功績は計り知れませんね。
まとめ
志穂美悦子さんの若い頃は、幼稚園時代から際立った運動神経を持ち、中学時代には80メートル・ハードル岡山県歴代2位という驚異的な記録を樹立するほどのアスリートでした。両親から受け継いだ運動のDNAと負けず嫌いの性格が、後のアクション女優としての土台を築いていたのです。
アクション女優への道は、千葉真一さんへの憧れと「誰よりも先にやりたい」というパイオニア精神から始まりました。厳格だった父親も、最終的には娘の夢を理解し応援してくれたからこそ、日本初の本格的女性アクション女優が誕生したのです。
代表作『女必殺拳』での18歳での主演デビューから、『忍者戦隊カゲスター』『宇宙からのメッセージ』など様々な作品で活躍し、「女性が戦うこと」を映画界のスタンダードにした功績は計り知れません。彼女が切り開いた道は、現在の多くの女性アクション女優たちにも受け継がれているのです。
どうもありがとうございました。
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