お笑いタレント、YouTuber、そして焼肉店経営者としての実業でもある、たむらけんじさん。
人気芸人が突然の引退を決意し、アメリカへ移住した背景には何があったのでしょうか?また、アメリカでの生活はどのようなものだったのでしょう?そして帰国を決めた本当の理由とは?
そこで今回の記事では
- たむらけんじの引退とアメリカ移住の真相
- アメリカでの活動と直面した困難
- 帰国決断の背景と焼肉店の現状
主にこの3つに迫っていきます。
たむらけんじさんは50歳という節目に芸能界での活動をリセットし、新たな挑戦を求めてアメリカへと渡りました。2019年のグランドキャニオン訪問がきっかけとなり、80歳までピンピンと生きるためでした。
ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
たむらけんじの引退とアメリカ移住の真相
なぜ50歳でこれまでの芸能活動を全て捨て、アメリカという未知の地に挑戦することを決めたのでしょうか?
グランドキャニオンでの衝撃的な体験と、コロナ禍での3年間の期間が、人生の大きな転換点となりました。
たむらけんじさんの引退と渡米の決断の背景には、人生における重要な転機が存在していました。
2019年、グランドキャニオンを訪れた際、その圧倒的な自然の前で人生の小ささを実感し、大きな衝撃を受けたのです。その後、世界的なパンデミックにより、3年もの間、じっくりと自分の人生と向き合う時間が与えられました。
この期間中、たむらけんじさん自身の将来について深く考え、「80歳までピンピンで生きたい」という強い願望を抱くようになったそうです。50歳という人生の節目を迎えるにあたり、これまでの成功に甘んじることなく、新たな挑戦を求めて行動を起こすことを決意したのです。それが芸能界の引退に繋がります!
日本での芸能活動をリセットし、アメリカという未知の地で一から始めることは、誰もが躊躇するような選択です。しかし、たむらけんじさんは、この決断こそが自身の成長につながると確信していました!
彼の決意には、芸能界の引退という仕事や単なる環境の変化だけでなく、新しい可能性を追求したいという強い意志が込められていたのはないでしょうか。
50歳での大きな決断は、多くの人々に夢と勇気を与える素晴らしい挑戦だと感じました。
アメリカでの活動と直面した困難
アメリカで俳優としての活動を目指したたむらけんじさんは、どのような困難に直面し、なぜ契約解除に至ってしまったのでしょうか?
英語力の不足からオーディションを3度断り、事務所から「誠意が感じられない」として契約を解除される事態になったようです。
たむらけんじさんのアメリカでの活動は、エンターテインメントビザの取得から始まりました。日本での知名度や実績を活かし、現地の俳優事務所と契約を結び、新たなキャリアをスタートさせようとしていました。
しかし、彼を待ち受けていたのは、想像以上に厳しい現実でした。最大の壁となったのは言語の問題です。英語力の不足から、オーディションの機会を3度も断らざるを得ない状況に追い込まれました。日本では考えられないような事態でしたが、アメリカのエンターテインメント業界では、そのような態度は許されませんでした。
現地では俳優事務所とエージェント契約を結んだが「英語がまだ難しい」と仕事を3度ほど断ると「こないだクビになったんです。(日本では)これまで一度もクビになったことがないのに」と初告白。事務所側からは「誠意が感じられない」と通告があったといい「めっちゃ謝りました」と苦笑いした。
引用:スポーツ報知
結果として、事務所側から「誠意が感じられない」という理由で契約解除を通告されることになっていました。日本でのキャリアにおいて一度も経験したことのない「解雇」という事態は、たむらけんじさんにとって大きなショックだったようです。
この経験は、アメリカと日本のビジネス文化の違いを痛感させられる出来事となったようです。
言葉の壁に直面しながらも挑戦し続けた姿勢は、多くの人々の共感を呼ぶものでした。
帰国決断の背景と焼肉店の現状
アメリカでの活動中に焼肉店の経営が悪化していることを知った、たむらけんじさんは、なぜ無期限での帰国を決意したのでしょうか?
コロナ禍での客足減少と、肉の値上がりによる収益悪化により、従業員の生活を守るため再建に向けた決断をしました。
たむらけんじさんが経営する「炭火焼肉たむら」は、コロナ禍の影響を大きく受けていました。2023年以降、期待していた客足の回復が思うように進まず、さらに食材費の高騰や人件費の上昇が重なり、経営状況は深刻な状態に陥っていました。
アメリカ滞在中も、たむらけんじさんは日本のスタッフと連絡を取り続け、毎日の売上データを確認していました。しかし、数字は期待を大きく下回り、このままでは店舗の存続自体が危ぶまれる状況でした。
17年間の経営の中で、時代の変化に対応できていなかったことも、経営悪化の一因となっていました。
再建に向けて、たむらけんじさんは同じ焼き肉店の経営をしている宮迫博之さんの協力を得ながら、具体的な改革を進めています。
メニューの見直しやデジタル化の推進、ポイントシステムの導入など、現代の飲食業界で求められる改革を積極的に取り入れ、従業員の雇用を守りながら経営の立て直しを図っているようです。
従業員のために帰国を決意し、店舗再建に全力を注ぐ姿勢に、経営者としての責任感を感じますね。
まとめ
たむらけんじさんは、2019年のグランドキャニオン訪問をきっかけに人生の転機を迎えました。コロナ禍での3年間の熟考期間を経て、50歳という節目に、80歳までピンピンで生きるという強い願望を実現するため、新たな挑戦としてアメリカ移住を決意しました。
アメリカでは俳優としての活動を目指しましたが、英語力の不足から3度のオーディションを断らざるを得ず、事務所との契約解除という厳しい現実に直面することになりました。
帰国の決断は、経営する焼肉店の再建のためでした。コロナ禍での客足減少や原価の上昇により、店舗経営は危機的状況に陥っていました。しかし、宮迫博之さんの協力を得ながら、メニューの見直しやデジタル化など、新たな改革に取り組んでいます。
たむらけんじさんの挑戦が良い方向へいくことを願わずにはいられません!年齢に関係なく新しいことに挑み続ける勇気の大切さを教えてくれました。
どうもありがとうございました。
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